1962-04-05 第40回国会 衆議院 本会議 第32号
そのときにピブンさんの言った言葉も覚えておられると思うのです、あのときにピブン首相は、これほど日本は気前がいいとは予想しなかった、こう言っておる。そうして、その後三十二年に岸さんがタイに行ったときに、今度はまた何と言ったか。そのときには、もしもこれが現金であったならば、もっと安くてもよかったと、こう言っておるのでございます。
そのときにピブンさんの言った言葉も覚えておられると思うのです、あのときにピブン首相は、これほど日本は気前がいいとは予想しなかった、こう言っておる。そうして、その後三十二年に岸さんがタイに行ったときに、今度はまた何と言ったか。そのときには、もしもこれが現金であったならば、もっと安くてもよかったと、こう言っておるのでございます。
これはどのタイの政治情勢についても書いてあるものですが、一九五七年の八月、まずピブン首相は閣僚の営利企業参加を禁止したのです。そのとき今のサリット総理は富くじ公社の理事長であったわけです。年間二十億バーツといわれているから、大体八十億円くらいは国の収入にならないで、これは自分のふところに入って、自分たちの政権確保にやっていた。
そして、この協定にあるように、九十六億円を限度とする投資またはクレジット、こういうことにして、従って、三十二年の六月に岸総理が東南アジアを回られてタイの当時のピブン首相と会ったときも、絶対にだめだ、こう答弁しておる。あなた自身そう言っているじゃありませんか。ナラティップ外相がアメリカからの帰りここに寄って、当時の石井副総理と会った際、当時あなた大蔵大臣だったじゃないですか。
あなたは、この協定については行政府の責任者の署名でいいのだ、こういうので、先ほどあなたはピブン首相並びにワン・ワイタヤコン外相の名前をあげておる。だからこの点は当然いわゆる正式な批准書交換にはなっていない。だから、私が先ほど指摘をしましたように、三十年協定はいわゆる日本は批准したけれどもタイ国は完全な批准をしていない。
だから、私は、それはおかしいじゃないか、こう聞いて、重ねて、行政府の権限でやるというが、だれが署名したのか、こう聞いたら、あなたは、今のピブン首相とワン・ワイタヤコン外務大臣の二人が署名したからいいんだと、こう言っておる。これは違うじゃありませんか。あなたはそう言ったんです。だから、この条約の締結については行政府の権限でいいんだということも誤りなら、ここで訂正しなさい。
たとえば、これらのいきさつについて、昭和三十二年の六月には、前岸首相が東南アジアに訪問の際にピブン首相との間にこの話のかわされたときにも、はっきりこれを拒否しておるのであります。あるいは、同じくその年の六月の末にナラティップ外務大臣がわが国を訪れた際におきましても、当時の石井副総理や、また当時の池田大蔵大臣、同様これを拒否しているのであります。
日・タイ両国の伝統的な友好関係は、今回ピブン首相の国賓としての来朝によりましてますます緊密の度を加えるものと期待される次第でございます。 かくて、政府の所期するアジア善隣外交の発展は着実に歩みを進めておるのでありまして、一衣帯水の韓国との国交調整の交渉もすみやかに行われますよう、せっかく努力いたしておる次第でございます。
たた現在タイにおきましては、ピブン首相が共産主義に非常に強い反対の立場をとつておりまして、部内で相当反対もあつたにかかわらず、これを押し切つて越南のバオダイ政権を承認した。このために反対派の外務大臣が辞任するというようなことまであつたのであります。また国内には約二万の共産党員が活躍しているという状態であります。
ピブン首相は本年七月末新聞記者に対しまして、現在にはシヤムには約三万の中共党員が潜入しておるが、シヤムの社会は王党派によつて堅実に組織されているので、共産主義に影響されることはないと確信する旨語つたが、その後官憲の檢挙する赤化運動者はすべて華僑であります。